2018年にグループ入りをされましたがどのような背景だったのでしょうか?
熊坂
弊社は私の父を含む3名の創業者によって設立されましたが、皆さん高齢化が進む中でご勇退を望む役員の方もいらっしゃいました。
そのため株式の移譲を進める必要がありましたが、従業員に移譲することは経済的に難しく、M&Aによる事業承継を検討し始めました。その中でマイスターエンジニアリンググループと出会いました。
グループ加入後、変化を感じた点はありますか?
熊坂
一つは経営体制の見直しが迅速に進み、後述する「人」面の改革を推進する土台ができたことが挙げられると思います。
グループ加入後、当時代表を務めていた私の父が退き新しい代表が社内から昇格しました。新代表は大変パワフルで推進力もある方ではあったのですが、トップダウン傾向が強く組織が委縮する部分もありました。
当時私は工事部門の部長をしておりましたが、「人」が資本の我々のような会社において組織が疲弊してしまうことは好ましくなく、強い危機意識を持っていました。
一方上記のような状況はグループとしてしっかり把握されていたようで、翌年にはMEの役員が新代表として就任するとともに、私を含む現場をよく知る社内人材(熊坂、出口)に加え、企画/管理力に優れたMEの人材(米澤)が転籍し役員として任命され、新たな経営体制に生まれ変わりました。
こうした経営体制の刷新は個社のみでの力では難しかったと思います。
新しくなった経営体制でどのような変革を推進されたのでしょうか?
熊坂
前述の通り我々は「人」が資本の会社です。しかしながら当時は「人を採っても同数辞めてしまう」という危機的状態でした。その中で米澤が人事・育成面での変革をリードしてくれました。
米澤
当時の危機的状況の要因は様々なものがありました。一つ目は採用面で、とにかく良いことだけを面接で説明して採用するという風潮があり、入社後のミスマッチが発生していましたが、これを「不利になるところを含めて全てさらけ出す」採用に変更しました。
また働き方面でも大きな問題がありました。点検という性質上夜勤も発生しうるのですが、昼勤・夜勤を連続する過酷なシフトが許容されていたり、業務が完了しても定時まで必ず残らなければいけない勤務形態となっているなど、非合理的な仕組みが放置されていた部分がありました。これらを持続可能で納得感のある働き方に変えつつ、就業規則など目に見えるものに明確化していきました。
更に育成/人事評価制度面でも課題がありました。端的に言えば、自身の成長や大きな役割を担うことが評価や報酬に直接的に繋がらず、むしろマイナスに働くこともあるような体系となっていました。このままではチャレンジをしようとする人材が生まれてこないため、スキルマップに基づく「評価の見える化」を行うとともに等級・報酬制度の見直しを進め、活躍できる人が適切に評価/処遇される土台を整備していきました。
これらの活動は一部ですが、こうした地道な取り組みを積み重ねることで「今年は何人社員が辞めていった」という会話が、「今年は何人増えた」という会話に変わりました。
変革は大変だったと思いますが、なぜできたのでしょうか?
出口
経営陣の相性がよく「チーム」としてしっかり機能したということが挙げられると思います。歳も近かったこともあり互いの信頼関係を築くことができ、熊坂と私は技術・営業領域を監督し事業がしっかり回り続けられるようにしつつ米澤が様々な改革を推進する、という役割分担をすることで、「チーム」として互いの強みを活かせたと感じています。
今後の展望について教えてください
熊坂
実は私自身は会社をとにかく大きくしたい、という気持ちが強い訳ではありません。一方で強く想っていることは「弊社を選んでくれた社員たちが満足感を持って働き続けてほしい」ということで、その結果として人員が拡大し事業自体も大きくなっていく、そのような順番で考えたいと思っています。
マイスターエンジニアリンググループの経営陣もその点を尊重してくれていると感じており、無理に介入してくることはありません。一方、経営報告など一定の規律は当然求められますが、その点持続的に経営をしていく上でプラスに働くものと考えています。
マイスターエンジニアリングから出向形式で人材を受け入れる活動も既に4年目を迎えています。こうした自社採用外でも新たな人材を受け入れつつ、人が残る組織を作り、消防点検・工事という領域での価値提供の幅を広げられるように邁進したいと思います。